朝、目が覚めたときから、頭の中にいくつもの用事が浮かんでいる日があります。
洗濯はどうしよう。買っておくものはなかったか。仕事の前に済ませたいこともある。ひとつひとつは、それほど大きな用事ではありません。それなのに、「さて、どれからやろう」と考え始めるだけで、少し疲れてしまうことがあります。
まだ一日が始まったばかりなのに、もう段取りに追い立てられているような気分です。
そんな朝、試しにAIへ「今日なにやる?」と聞いてみました。
何でも決めてもらおうと思ったわけではありません。ただ、頭の中で絡まっているものを、いったん自分の外へ置いてみたかったのだと思います。
返ってきた言葉を眺めていると、「まずはこれでいいか」と思える順番が見えてきました。自分でも分かっていたはずのことなのに、誰かにそっと並べ直してもらうと、不思議と手をつけやすくなります。
頼れるな、と感じました。
けれど、何でも分かってくれるわけではありません。
今日は少し気が重いとか、昨夜あまり眠れなかったとか、家の中にどことなく落ち着かない空気があるとか。こちらが言葉にしていない気持ちまでは、AIには分かりません。
きれいに並んだ予定を見ても、「今日はそんなに頑張れないんだけどな」と思う朝もありそうです。こちらの都合を知らず、少しまじめすぎる答えが返ってくる。そのあたりには、やはり頼りなさもあります。
でも、かえってそれくらいがちょうどいいのかもしれません。
AIが決めた通りに動く必要はありません。返ってきた段取りを見ながら、「これは今日はやめておこう」「こっちを先にしよう」と、自分の気持ちに合わせて選び直せばいい。答えをもらうというより、自分で決めるためのきっかけをもらう感じです。
朝の段取りは、家事そのものではありません。それでも毎日、小さく頭を使います。その小さな負担を誰かに少し持ってもらえるだけで、朝の景色は変わる気がします。
考えることがひとつ減ると、お茶を飲む時間に気持ちが戻ってきます。家族の様子を見る余裕も、ほんの少し生まれるかもしれません。「急いで始めなければ」ではなく、「では、これからやろう」と思える。その違いは、思っていたより大きいものです。
AIというと、難しそうなものや、仕事を大きく変えるものを想像しがちです。でも暮らしの中では、もっとささやかな使い方があってもよさそうです。
朝、何から始めるか迷ったときに、ちょっと声をかけてみる。返事の中から、今日の自分に合うものだけを拾う。それなら、新しい道具を使いこなそうと力まなくても、少しずつ暮らしに馴染んでいくのではないでしょうか。
道具は、完璧でなくてもいいのだと思います。
こちらの気持ちを全部くみ取れなくても、正解をいつも出せなくても、使ったあとに少し肩の力が抜けるなら、それで十分です。
朝いちばんの「今日、なにからやろう」を、ひとりで抱え込まなくていい。その小さな安心が、AIを暮らしの道具として迎える理由になるのかもしれません。

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